2012年12月16日

No.04 赤ペンP 「Nikon F」

・・・あれ?なんでここに赤ペンがいるの?(笑)

VRLの作業も最後の追い込みだっつーのに、どうにもこうにも
文章と聞くと筆が動いてしまう悪癖が疼いちゃいまして。
動画の息抜きでちょっとだけお邪魔しています。
(注:この文章を執筆したのは12/10、本番4日前・・・)

さて、映像とは無縁の人生を歩んできた私ですが、
唯一それなりに積極的な係わり合いを持っていたのが
写真部に在籍していた中学生時代かも知れません。

もっとも、その主な活動が
「隣の部室だった科学部との野球対決」
でしたので、どれだけ関わっていたのかは
甚だアヤシイわけですが(苦笑)。

そんな私の選んだカメラは、これ。

Nikon F Photomic


Nikon F。発売は1959年。
いや待ってくれ俺は別に年齢詐称はしていない(笑)。

決して若くない私のさらに年上になるこのカメラが
何故ここで登場するのか、それを説明するにはまず
中学当時の写真部時代のお話をしなければいけません。

写真部といっても前述のようなぬるーい部活でしたので、
部活にカメラの備えがあるわけじゃなく、
「一眼レフでもインスタントでも持ってたらそれで写真を撮れ」
という、よく言えば独立独歩の精神に富む、悪く言えば
なーんにも目的のない場所でありました。写真の技術を
教わるでもなく磨くでもなく。

それでもと言うべきか、だからこそと言うべきか、
この部に入る人間はちゃんと自前のカメラを持ってました。
インスタントカメラも多かったけど、一眼レフのカメラも
結構あったんですよ。
CanonのT90にAE-1P、NikonのF3、ミノルタのα7000にX-1。
懐かしい名前ばかりで世代がバレますねぇ・・・。

当時の私はカメラなんて持ってなかったし
興味もそれほどありませんでした。それがどういうわけか
写真部に在籍することになった理由は割愛しますが、
ともあれ自分のカメラをなんとかして調達しないと、
写真部での主な活動が「野球のキャッチャー」になってしまう。

この頃私の父が輸入カメラ関連の仕事をしていたので、
そのツテで中古のカメラを探してくれるよう頼み込み、
ほどなくして我が家にやってきたのが、Nikon Fでした。

まずはこのカメラについて説明しておきましょう。
・・・と言っても、実はこのエントリを好んで見に来る人には
説明など不要な、文字通り一世を風靡した「名機」です。

1959年の発売以降、レンズ及びアクセサリの豊富さによる
汎用性の高さやその耐久性が支持され、プロユースの
カメラとして15年の長きに渡り世界的にその名を轟かせました。
アメリカでは陸海空の三軍に加え、NASAまでもが採用したとか。
35mm一眼レフカメラを語る上では絶対に外せない一台。

当時のカメラと言えばドイツ。ライカやコンタックスという
名前を聞いた事くらいはある人もいるでしょう。
そこに堂々と割って入った国産カメラの雄が、このNikon F。
恐らく詳しい人ならば、このカメラの話だけでどこまでも
文章が続くのでしょうが、とりあえずここまでにして。

父は「知人が使わなくなったものを貰って来た」
と言ってた気がします。私の手元に来たFは
状態も非常に良く普通に使えたので、
使わないにしても大事にされていたのでしょう。

でも、その当時で考えても20年以上前のカメラです。
どんな名機でも使いづらい部分はそりゃあったわけで。

まずは何より「重い」。チタン特有の手にズシンと来る重量感。
そして当然ながら一切の電子的な補助機能はない。
液晶パネルの表示なんてハイカラ(古)なものどころか、
シャッターを押した後フィルムを巻き上げるのも手動。
フィルムを全部取り終わった後も、当然手動で巻き取り。
シャッターを押した時に指先に伝わる「カシャッ」
という擬音そのままの感覚。フィルム交換するのに
カメラの裏蓋をまるまるスライドさせる方式。
何から何まで「全手動」の、まさしく
「機械」と呼ぶにふさわしい一品。

外観も実用一辺倒のイカついフォルム。
私のFはフォトミックファインダーというものが
付いていて(説明は長くなるので割愛)
さらに無骨なシルエットをしていました。
カメラ自体もゴツくてデカく、持ってるヤツも
またデカかった(笑)。どこをどう見ても、
中学生が趣味でカメラをいじってる絵面じゃない。

Fをいじっていて何が楽しかったかって、何をするにも
手に伝わってくる機械的な感覚。フィルムを装填するとき、
巻き上げるとき、シャッターを切るとき、セルフタイマーを
使うとき・・・何をするにも、その感覚や音が伝わってくる。
あー、機械を弄ってるんだなーという実感。だから
フィルムが入っていないFをガシャガシャ弄る事も
よくありましたね。まぁそれを楽しむ「オモチャ」としては
いささか値が張りすぎる感もありますが。

さて、「私と写真のお付き合いはここから始まった」
みたいな文章が書ければそれなりにカッコがつくのですが、
残念ながらそのお付き合いは、それほど長くは続きません。
高校の入学祝いに同じNikon繋がりでF-801をプレゼントされ、
それは高校在学中は使ってたんだけど、大学以降は
2台とも物置の奥に眠ったまま今日に至ります。
しかしあのカメラの1/8000のシャッタースピードって
使う機会が全然なかったよね・・・。

当時の我が家は、貧窮とまでは行きませんけれども
普通の生活をする以上の余裕はあまりありませんでしたから、
フィルム代を捻出するのが結構大変だったんです。
レンタルCDをもうちょい抑えろとか、バンド組んでベースを
買わなければよかっただろ、とか言われたら終わるんですが(苦笑)。
あ、ベースはちゃんとバイトで稼いだ金で買いましたよ?

そうだよねぇ。フィルム代がバカにならなかったんだよねぇ。
思えばFにはネオパンSSとかトライXといった白黒フィルムしか
装填した覚えがありません。また撮影に際しても、
無駄な1枚をどこまで減らせるか、そればっかり考えてた気がします。
容量の許す限り好きなだけ撮って、そこからベストの1枚を選べる
今の状況は隔世の感すらあります。古臭いな(笑)。

だからね、今になっても携帯電話のカメラで何かを撮るとき、
私はシャッターを切るまでにすっごく時間が掛かるんです。
orgonePがG4Uで遊ぶ生放送をやった時も、他の人たちに比べて
シャッターを切る回数が段違いに少なかったと思います。
いやG4Uでもそれってどうなのよ、って話ですよね(苦笑)。

ともあれ、あの指先の感覚は今でもよく覚えています。
それが今の私の何に繋がっているのかは自分でもわからん(笑)。
現在のデジタル一眼レフに手を出すには
某JRA銀行の助けがないとダメだろうなと思いつつ、
そんなまとまりのない文章でございました。

今度久々に引っ張り出してみようかな。ちゃんと動くかな?


ニコンF_あずさ.jpg
Illust:なかな
posted by なかなP at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Pと「このカメラ」
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/60798841

この記事へのトラックバック